質疑応答

このページを訪問してくださった皆様へ

今回活動を始めた中で多くの方から寄せられた同じ質問が数件ありました。

そこでこの場を借りてお答えさせて頂きたいと思います。


まず

どうして自衛隊を辞めたのか?

航空学生として入隊し無事訓練を終えて、回転翼操縦士として海上自衛隊の艦載部隊(※)に勤務していましたが、その在職中に母を亡くしました。

父もまた持病を抱えておりサポートが必要となる事が度々ありました。

しかし職務上、長期に渡り艦(ふね)と行動を共にする勤務であったことに加え、遠方への転勤などで必要な介護が十分に出来ない環境を懸念し、問題の根本的解決のためには自衛隊を退職するしかないという考えに至りました。

退職後は父親をサポートする傍らで自衛隊時代の経験を生かして固定翼免許を取得し、九州内の航空会社への就職を目指しました。

そして念願叶い九州鹿児島に拠点を置く、日本エアコミューター(株)へ就職したことで新たな私のスタートとなりました。

(※艦載部隊に関して詳しく知りたい方は海上自衛隊のYoutubeチャンネル、「艦つべ」をご覧ください)


次に

なぜこのような活動を始めたのか?

余談ですが小学6年生時の卒業文集に書いた将来の夢は政治家でした!

もともと自衛隊を辞め実家へ戻ろうと考えた際に地方議員という選択を計画していました。

しかし諸事情により計画は消滅し一旦先延ばしとなりました。

というわけで根本的に政治に参加したいという考えは以前よりあり、家族にもいずれはチャレンジしたいと話していました。

そしてその時期はざっくり定年後くらいを想定していましたが、このコロナで深く考える機会が増えて考えが改まりました。

もちろん私はご存知の通り移住者の身、縁故も後ろ盾もゼロからのスタートです。

“後でやろう”はいつまで経ってもやらない。“やるなら今だ”と。

おかげさまでいろんな分野・業種を経験させて頂き、今の私があります。

この先チャレンジすることに愉しみしかありません。

これが私が活動を始めるに至った経緯です。


最後に

どうして霧島でなのか?

ライセンスを取得して日本エアコミューターに就職した事で霧島市とのご縁がはじまりました。

そんなご縁で住むことになった訳ですが霧島市は非常に住みよい環境でした。

空港が近くて利便が良く、地産地消の安全な食べ物に、子育てしやすい環境。

他にも理由はありますが、これらのことから骨を埋める決心で定住を決意しこの溝辺に自宅を構えました。

この地域に根を張って生きていく!

そう決めたからこそ、この溝辺町を霧島市を良くしていきたいという思いがあるのです。

現時点で霧島で過ごした期間は、約15年弱。生まれてから郷里を離れるまでの期間はにまだ及びませんが、第二の故郷であることは間違いなく将来さらに強固な繋がりになっていくと思っています。

なにより私の娘や息子にとってはこの霧島市が故郷なのですから。

以上、皆さんからよく頂くご質問3選でした。

神﨑かずよし後援会

元長距離国際線パイロットの市議会議員候補、神崎かずよし

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