ボランティアに感謝を、でも頼りすぎてはいけない

〜霧島市2025年8月豪雨をきっかけに考える支援体制のあり方〜


はじめに:災害に燃える善意と、その裏で眠る深い課題

2025年8月7日から8日にかけての記録的豪雨により、霧島市では降り続いた雨が各地に甚大な被害をもたらしました。


霧島市溝辺観測点では7日183.5mm、8日367.0mmと、月平均の倍以上の雨が数時間で降り注ぎました。天降川の氾濫こそ免れたものの、旧氾濫原や低地を中心に内水氾濫が発生。国分や隼人の日当山地区では1.5m以上の浸水、各地で土砂崩れや道路崩落が起きました。


こうした中、SNSやニュースには「助けに行こう」「ボランティア募集中」の声が溢れ、多くの市民が支援活動に参加しました。その結果、助かった、守られた暮らしがあるのは紛れもない事実です。

私はその善意に心から敬意を示したいと思います。


しかし、それでも言いたい。「頼りすぎるのは、もうやめにしよう」

こうした災害時のボランティアの尊さは否定しません。でも同時に、私は「頼りすぎてはいけない」と強く思います。


たとえば霧島市でも、被災地を支え続けるボランティアの姿が連日報道されました。

一方で、現場に入れない人たちは罪悪感を感じたり、「何もできない自分は役に立たない」という自己否定の感情を抱いてしまう方もいるのではないでしょうか。そうなると精神的に滅入ってしまう人も少なくないでしょう。


それに支援に入った人も、生活や仕事、家族の犠牲を払う無理を重ねていれば、燃え尽き症候群のように疲労し、健康を害してしまうリスクもあります。


要するに、「善意に依存した支援体制」は、一時的には救いの光になるものの、長期的には心の負担を増やし、持続性を奪ってしまう──それが私の危惧です。


なぜ、行政ではなくボランティアが主役になってしまうのか?


本来なら行政が指揮をとり、被災者支援を一元的に動かすべき場面で、なぜ現実には“ボランティアが先に動く”構図が繰り返されるのでしょうか。

霧島市では豪雨発生後、断水が市内広範囲で発生し、約2万戸に影響が出ました。復旧は8月11日以降と発表されています。避難所の設置や道路の復旧、給水箇所の開設など行政の対応も進みましたが、その裏では対応のスピードや情報の集約に多くの時間がかかっていたのも事実です。


霧島市においては、今回は幸いにも人命に関わるようなことはありませんでしたが、人命に関わる救助体制となると、最初の72時間がとても重要になってきます。

この時、初動において行政主導で動けない状況が発生すると、情報の混乱や指揮指令の遅さ、現場との情報ギャップが、善意の市民が先に動かざるを得ない構図を作り出しています。


霧島市の過去の災害と、教訓の未活用という痛烈な事実

実は、今回の豪雨被害は霧島市(旧隼人町)にとって他人事ではありません。約30年前、同じ天降川沿いで大水害が発生しており、それを防災対策の教訓として活かすべきでした。

にもかかわらず、今回再び同様の被害が出たことは、行政と議会(市議会議員)が過去の災害を本気で検証・改善してこなかった怠慢を物語っています。これは痛烈な反省点です。


行政がすぐに動ける仕組みを、今こそ構築すべきだ

では、今私たちが取るべき具体的なアクションは何でしょうか。私は以下のような仕組み構築を提案したいと思います。

1.平時からのボランティア登録制度の整備 市民が平時に技能情報や参加希望を登録できる窓口を設け、有事には即時招集できる基盤とする。


2.指揮系統の明確化と事前設定 災害時の全体指揮官、現場指揮者を事前に設定しておき、現場が裁量を持って判断できる仕組みを作る。


3.有償化による参加の補償 交通費や日当など、公費で最低限の補償を行うことで、生活や仕事との両立を支援し、持続性のある支援に変える。


まとめ:善意を補完する、本当に強い支援体制を

災害時に人が人を助けるのは尊い行動です。

しかし、それをあてにする社会構造は、決して健全とは言えません。

今こそ、行政が主導し、平時の備えをしっかり整えることで、ボランティアが支援の補完役として機能する支え合いをデザインするべきです。

霧島市に、そして他の自治体にも善意をすり減らすのではなく、仕組みで命と暮らしを支える社会の実現に私たちは真剣に向き合わなければなりません。


神﨑一よし後援会

地域密着の市議会議員候補、 神﨑 一よし

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